【映画レビュー】『奇跡の人』(1962)が現代にも訴えるその神髄とは?※ネタばれあり

映画

 
 
 
ずっと見たかった『奇跡の人』をようやく鑑賞しましたので、個人的な感想や見どころをまとめました。
内容は誰もが名前は聞いたことがあるヘレン・ケラーの実話に基づく物語り。
実はこの作品、すでに半世紀が過ぎましたが未だに多くの人に感動を与える名作のひとつになっています。
Yahoo!映画での平均評価もなんと4.38点/178件(2020年3月30日現在)と稀にみる高評価を得ているんですね。
 
時代を超えて多くの人を魅了するこの作品、白黒映画に馴染みがない若い世代にもぜひ一度観ていただきたい!
 

映画の感想

まずは結論として感想を言うと、とてもよかったです!
どうよかったかというと、感動したのと、これが実話だと思うとヘレン・ケラーやアニー・サリバンというリアルな人物にたいへん興味を持ちました。
また、ストーリーの展開もテンポよく進み、負担がなく一気に観ることができました。
モノクロの古い映画は観るまでに抵抗が少なからずありますが、一度流してしまえば気軽に鑑賞することができる作品です。

邦題の解釈について

邦題『奇跡の人』についてですが、こちら原題は英語で『The Miracle Woker』でニュアンス的には「奇跡を起こす人」といった意味になります。
盲目で耳も聞こえないヘレン・ケラーが言葉を覚える、という実話から日本ではこの「奇跡の人」がヘレン・ケラーに向けた言葉だと捉えられがちですが、原題の直訳からすればどちらかというとサリバン先生を指しているものと言えます。
ですが、個人的にはどちらに捉えても間違いとは思えず、この絶妙な差が生まれる邦題の設定が割と好きです。
原題とは全く違う意味の邦題をつけることも多く、たまにネタバレになってしまう題がついていることもありますが、結果的に鑑賞する人に解釈を任せるほうがより深い意味づけができると思います。

シンプルなストーリーと迫真の演技

こちらのストーリーはもともと舞台用に作られたもので、構成はいたってシンプル。ヘレン・ケラーとサリバン先生が出会い、言葉を理解するまでの短期間に焦点をあてています。
そのため、登場人物もヘレンの家族とその他一部の数人程度、場所もヘレンの家しか登場しません。
ヘレン・ケラーはその生涯で後に発声訓練を受け話せるようになったり、大学を卒業したり、社会的な活動や政治活動に注力し世界的に大きな影響を与えていますがこの映画でそれらが描かれることはありません。
どちらかというとサリバンの視点に重きを置いて構成されており、サリバンがケラー家に来て、ヘレンが言葉を理解するまでという限定的な時間枠と、その指導風景をこの1時間半程度描き続けるのです。
つまり映画の大部分がヘレン役とサリバン役の2者で構成されているのです。
そしてまたもちろんですが、ヘレンにセリフはありません。
映画のヘレンは6~7歳頃を描かれているものと想定できますが、ヘレン役を演じたパティ・デュークは当時16歳
自分より幼く、目も見えず聞こえもしない閉ざされた世界に住むヘレンをどう捉えて演じたのでしょうか。
経験したことのない障害を演じることは容易くなかったと思います。ですが、幼さを無邪気に魅せ、見える目で見えない役を表情豊かに演じきっています。
最後まで飽きずに魅せ続けてくれるのは、パティの迫真の演技が大きな役割を担っているように感じます。

サリバンの指導について

おそらくこの映画で特に描きたかったと思われるサリバン先生の教育に対する情熱についてですが、その指導方法については一部過剰とも言える場面も含まれます。
現代の日本においては子どもに手をあげるなんてことがあれば体罰や虐待として取り扱われますので、この映画の方法をそのまま現代に持ち込むことはできません。
ただ、サリバンの情熱はけして自らの教育者としての成果としてではなく、ヘレンへの愛情と自身の経験に基づく救世の精神から注がれるものだと誰も疑わないでしょう。
サリバンが言う、言葉を知れば見えないものでも見えるようになる、というセリフに心を打たれました。
なお、目が見えず、耳も聞こえない人でも今日では言葉を理解するための教育が普及しています。
ヘレンは知的能力がもとから高かったのでしょう。
私たちが住む世界は見えるものだけではなく、人間が作り出した言葉の中に生きているのですね。

最後に

私は子どもの頃にこのストーリーの舞台を見た記憶があります。
どの劇団だったか、その詳細は何十年も前のことなので覚えていませんが、映画を通してその記憶が蘇りました。
それほど幼いながらに感動を覚えていたのでしょう。
特に教育に携わる人には一度見てみてほしいですね。